自分の弱点
努力
忍耐
謙虚
配慮
自立
年齢を重ねると共に、中身が空っぽであればあるほど人生がつまらなくなると思う。
若いうちは難しいこと考えずに何でも楽しめる。
選択を間違えたとしても誰かが教えてくれる。
どう生きていたいかにもよるかもしれないけれど、話していて面白くない人には魅力を感じないし、自分がそういう人になってしまっているかもしれないと考えると顔が熱くなる。
私は自分のことを過信しているところがあって、それが災いの元となることがある。そして人に甘えている。家族友人その他関わる人に対して寄りかかる性質がある。自覚しているけれど一向に改善出来ていない。
このままの自分で良い、そう肯定していくのも大切なことだと思う。でも向上心なく自分を高めることを怠って前に進めないまま歳を重ねていくとどうなるかというと。あまりいい結末になるとは思えない。良い死に方が出来るとは。
気がついたら周りに人がいない。
そうなる可能性を今考えられてない。
謙虚さがまるで足りてないが故に、とても横柄な態度を取りやすい。
それでも傍にいてくれる、そんな風に思ってしまっている私の根底にあるものは何か。
何かって、ただひとつで、周りの人の優しさである。
毎度みんな優しいなと思うんだけれど、ありがとうの気持ちが不足してる。
当たり前だと思っている節がある。
祖父は本当に私に優しかった。
怒ると怖いし、何かと叱られていたので反発もあった。面倒だなと思うこともあった。それでも、どんな時でも私の味方でいてくれて、守ってくれて、沢山のことを与えてくれた偉大な存在である。
無償の愛とは、私にとっては祖父の愛だ。
もちろん、祖母も優しいし父も母もなんだかんだいって優しい。
ただ祖父が別格だっただけで。でもそれを実感したのは、悲しいかな祖父が亡くなった後だった。
今でもはっきりと覚えている。
亡くなったその日の冷蔵庫の野菜室に、ぶどうが入れてあったのを見て想いが込み上げてきてしまった。
祖父は果物が大好きな私のために、ほぼ毎日と言っていいほど何かしら果物を用意しておいてくれていた。
命を落としたその日も変わらずに、買ってきてくれていた。これが当たり前なわけがないんだ。
それと、免許証。
レーシックの手術まで受けて、免許を更新して。
社会人になっても、研修場所まで送ってくれたりしていた祖父。
唯一、家族の中で私の就職先に対して反対せずに、自分で決めたことなのだから頑張りなさいと言ってくれた祖父。
私のことを、気持ちが優しくて良い子だと常々周りに話してくれていた祖父。
今の私は祖父に対する恩返しを何も出来ていない。
全て中途半端、あの頃と何も変わりない。
周りの環境や人々は変わっていくのに、私だけ変わらずにいつまでも同じところに留まっている。
変化を受け入れたくないのかもしれない。現実逃避。
子供なんだ、だから。もう26になるっていうのに。
若いのではなくて、幼い。本当に幼稚。
冒頭の二字熟語はどれも私に必要な言葉たち。
何回も何回も言われているし自分でも考えて受け止めたつもりでいたけれど、一向に変化を見せられない。
それは何故なのか。
どう努力するのか
どう忍耐力をつけるのか
どう謙虚になるのか
どう配慮するのか
どう自立していくのか
それを考えてこなかったからだと思う。
実現するためにはどう行動を変えていくのか、いつまでにどの状態まで持っていくのか、そういう具体的なことを何も決めずに、それこそ努力をしていない状態で何を改善する気なんだという話になる。
ただただ、自立しなきゃとか謙虚にならなきゃとか思ったところでどうにもならない。また同じ失敗を繰り返してまた同じように反省したつもりになって。
頭が悪いんだ。性格もすこぶる悪い。
だいぶ前から分かっていたようなことを今さら、こんな風に語っている時点で🤷♀️となると思うけれど、それでも今から変わっていかないとあっという間に30歳になる。
30歳になるのが嫌だとか怖いとかそういう風に思うのって、その時の自分が輝いてる自信がないからだろうなと感じる。
私は今のまま30歳になってしまったらと考えると、専ら不安しかない。
ならば今から安心して歳を重ねられるようにならないと、本当にどんどん人生がつまらなくなっていく。
一生笑って過ごしたい。周りにも笑っていてほしい。
実現出来るように人間として成長していきたい。
大人は楽しい。子供も楽しい。いつ何時も、その時その時で楽しめることがあるのは幸せなことだ。
今を生きる。ちょっと前でも後でもなく、昔でも未来でもなく、今を。現在の自分を周りを社会を受け入れて生きていく。それが今の私の課題だ。
母に、起承転結がなってないとよく指摘されたものだが、文章を書くのはやはり楽しい。思考の整理も出来る。
少しずつまた更新していこう。
そして今年、2019年は変化の年に。
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